バブルっぽい曲から当時と今の若者の生活、時代の変化を考察する

ときたま『バブルの頃は良かった』『あの頃にもどりたい』と嘆く人に出会うことがある。

確かに当時のほうが今よりも平均年収が100万円以上高かったり、働いていた人の豪遊エピソードを聞く限り、羽振りが良かったのは間違いない。

しかし、それは一部の話を切り取ったにすぎない。ということは、現代にもバブル時代より遥かに素晴らしいメリットが見出だせるところも見逃してはならない。

ということで、今回は「バブルっぽい曲を題材に当時と今の生活や時代の違い」をテーマに考察していく。



バブル時代の若者を映し出す名曲「カルアミルク」(岡村靖幸)

まず当時の時代背景から紐解いてみる。

バブル景気(バブルけいき、英: bubble boom)は、景気動向指数(CI)上は、1986年(昭和61年)12月から1991年(平成3年)2月までの51か月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気、およびそれに付随して起こった社会現象とされる。情勢自体はバブル経済と同一であり、平成景気(へいせいけいき)や平成バブル(へいせいバブル)とも呼ばれる。日本国政府の公式見解では数値上、第11循環という呼称で、指標を示している。

ただし、多くの人が好景気の雰囲気を感じ始めたのは1987年10月19日のブラックマンデーをすぎた1988年頃からであり、政府見解では、日経平均株価が38,957円の史上最高値を記録した1989年12月29日をはさみ、1992年2月までこの好景気の雰囲気は維持されていたと考えられている。

引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E6
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ちなみに、私は日本が華やかなりしバブルの全盛期にあった頃、幼少期だった為、ウハウハするような体験談は全くない(笑)

のちのちバブル時代に興味を持ったのは、とある曲に出会ってからである。この曲はバブル景気の中をを生きる若者のライフスタイルや当時の世相なども反映されていてとても面白い。

また、たった1曲聴くだけでタイムスリップできるような音楽の力には脱帽してしまう。

今回取り上げる、まさにバブルっぽい曲とは孤高のアーティスト岡村靖幸の「カルアミルク」である。

バブル時代のチャラい若者は六本木へ繰り出す

「カルアミルク」が世に出たのは1990年、まさに日本経済がバブル狂乱の真っ只中にいた頃。このカルアミルクを聴けば、リアルタイムを経験していない世代でも充分当時の若者になりきれる気がする。勝手な想像であるが、、、、。

というわけで、この名曲の世界観を紐解いていこう。まず、この歌の主人公を勝手に設定してみた。

主人公:バブメン
年齢:アラサー
仕事:広告代理店営業マン
休日:土日祝日
※たまに上司との付き合いで社内接待ゴルフあり
趣味:ディスコへ行く、スポーツカーに乗る、ファミコン
未婚、子なし

歌詞の世界はこんな感じ。

ここ最近の僕だったら だいたい午前8時か9時まで遊んでる。
ファミコンやって、ディスコに行って、知らない女の子とレンタルのビデオ見てる

アルバム『家庭教師』、曲名「カルアミルク」より引用
作詞・作曲・編曲:岡村靖幸

【こんなライフスタイル??】

月曜から金曜までは、夜遅くまで外回りの営業に明け暮れる。金曜の夜になれば、六本木、銀座のクラブへ取引先を連れて接待。調子に乗って三次会のカラオケで飲み過ぎ終電を逃した日は会社からもらったタクシーチケットを使って家まで帰る。

休みの日は昼過ぎまで寝ていて、起きたらデリバリーに電話をして特大のピザを注文。朝昼兼用の食事をしながら、先週からハマっているドラクエⅢとマリオゲームをダラダラやる。

気付けばあっという間に夜、急遽外で飲みたくなって悪友に電話。当日ながら誘いだしは成功、いつもの六本木のディスコへ行く。

悪友とディスコ前で落ち合い、二人で手当たり次第に女の子に声をかけまくる。そこから先の展開は想像にお任せ(笑)そんな週末。

これが遊び人ってヤツのことなのか。『今日が楽しければそれでいいや』なんて言ってそうだ。これはチャラい(笑)

バブル景気の恩恵を受けた世代と現代の若者ではお金の価値観が全く違う

話は再び歌に戻る。圧巻のサビはこんな歌詞になっている。

電話なんかやめてさ 六本木で会おうよ
いますぐおいでよ 仲なおりしたいんだ もう一度 カルアミルクで

アルバム『家庭教師』、曲名「カルアミルク」より引用
作詞・作曲・編曲:岡村靖幸

【こんなシチュエーション??】

とんねるずが多用していた当時の業界用語登場か。
「ギロッポン(六本木)」で「シースー(寿司)」でも行こうかと。

そのあとは、最近見つけたお洒落なバーで飲み直して今後について冷静に話そうよと。そして密かに仕込んだティファニーのアクセサリーを仲直りを条件に渡す。おそらく相手はディスコで見つけた女性ではないだろう、、、、。

しかし、何だかバブリーな空気満載である。主人公は躊躇なくお金を使うことが日常的でそれを楽しんでいるのではないだろうか。

「ファミコン」ディスコ」、「レンタルのビデオ」や「六本木」という当時のブームを象徴するフレーズは、まさに若者の生活文化を表現している気がする。

今の時代、内輪で飲もうと思えば「宅飲み」も重要な選択肢である。それこそ居酒屋にいけば1人5000円かかるなんてザラだか、家で飲めば1000円あれば充分事足りる。

貰えるボーナスや手取りが少ないなら少ないなりにやりくりしているのが今の若者の生活観なのかもしれない。

また私自身の経験になるが、仕事の付き合いでバブル時代に働いていた世代の人に会うことも多い。彼らの特徴として、話を盛り上げるのがうまく面倒見も良い人が多い気がする。

私たち年下の世代が甘えるばかりではいけないが、本当に気持ちよく奢ってくれる人も多いのも事実だ(笑)

バブル全盛期の日本では公務員という働き方を選ぶ人は少なかった

世の中がバブルで色めき立っていた頃、私は幼稚園から小学校に上がるくらいの時期だった。私の家庭は、父親が堅い公務員ということもあり、好景気、不景気どちらにも左右されずに育っていった。

それこそ、お金持ちでも貧乏でもない、極めてフツーの生活と環境だったことが思い出される。しかし、こんな出来事も記憶にはある。

当時、学校の夏休みが終われば、友達と再会することになる。その時にもらったのが、ハワイで買ったお土産だったり、食べ物だったりしたことがあった。

この時は『うちは海外旅行とかにはいけないのかな』と周りがちょっと羨ましく感じたこともあった。

それと、今ではにわかに信じがたいことではあるのだが。いつも仲良くしていた友達とけんかをしたときに『この公務員の安月給!』と馬鹿にされたこともあった。

当時の民間の人たちにとって、公務員とは給料が安くてあまり魅力的に映らない仕事だったのかもしれない。

きっと、民間の世界で仕事をする親を持っていた友達はそのような話を聞かされていたのではないだろうか。なぜなら、私を安月給の家庭と馬鹿にした友達は、骨董品を扱う典型的な自営業の家庭であったからだ。

たまに、彼の家に遊びに行った時は、パスワードを解除するタイプの家の鍵が搭載されていて見るからに羽振りが良さそうであった。

バブル経済崩壊後の日本の時代背景を振り返る

バブルのピークが永遠に続くことはない。私が小学校の高学年になる頃には、バブルはとっくに崩壊しており世相は一気に重苦しいものになっていく。

阪神淡路大震災が起こったり、超がつく大手企業だった山一証券が経営破綻するなど、あの頃は戦後最悪の時代と呼ばれていたようだ。

私たち兄弟もニュースを見ながら「これは何かとんでもなく恐ろしいことが起こっているぞ」と感じていたように思う。

そんな頃、うちの母親がドヤ顔でこんなことを言った。

世の中がバブルと呼ばれていた頃は、周りの親戚たち(親戚はみんな民間人)の暮らしが羨ましいと思うことがあったわ。でも今、こうなってみたらウチが公務員で良かったわね。

と、あまり本音を口にしない母親がいつにもない調子で強烈なクロージングをかけてきた。このことは今でも忘れられない記憶として残っている(笑)

つまり、母親はこう言いたかったのだ。「あんたはウチに生まれてラッキーなのよ」と。

それはそうと、30年間以上も公務員として誠実に仕事を続けた父は凄いなとも思った。

まとめ

今回はバブル時代を考察してみた。

実際のところ、日本経済の最盛期はもう終わってしまったのかもしれない。未だに「あの頃は良かった」とバブルの再来を願う話を聞くこともある。

そんな中、こんなことを思ったりもするのだ。『もう一回、バブル時代に戻ってみるのもいいんじゃない?』と。

これは、タイムマシーン的な話などではなく、言い換えれば自力でバブル経済を作り出す、ということだ。

現代は幸い、インターネットの普及によって、個人が億単位で稼げる時代になっている。自動で稼げるシステムを構築すれば、時間の自由も手に入れられる。

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バブルの頃のように、会社から受けられる恩恵は少なくなってしまったかもしれない。しかし、1990年に比べれば私たちは遥かに便利な世の中を生きている。

改めて、バブル時代の教訓を学び、今の時代で得られるメリットを活用するのが賢い選択であるように思う。