【人間性の評価と仕事能力は必ずしも連動しない】映画白い巨塔に学ぶ

映画「白い巨塔(1966)」を観た。

観終えたあと「自分にとって仕事をする意味とは何なのか?」と改めて考えさせられる作品だった。

世の中には仕事で結果を出す為にまず人間性を高める、豊かにする、という自分を磨くことに躍起になる人がいる。

果たして本当にそうなのだろうか?一度疑う必要があるかもしれない。

私自身、上記の考えに対しては否定の立場をとっている。

私個人の経験から、人間性で評価されることと仕事で結果を出すことは必ずしもリンクしないと感じている。

ということで、今回は映画【白い巨搭】を題材に「人間性の向上と仕事の関係」について考察していこうと思う。

【結論】
人間性を磨く前にまず自分のやっている仕事に全力を尽くす




経済的に豊かになりたければ、人間性を磨くことよりもまずは仕事の質を高める

「白い巨搭」の主人公であり医学部助教授の財前は、次期教授への出世をする為なら手段を選ばないという男である。

義理の親や腹心を巻き込み、権力者には献金をすることさえ厭わない。そして、医師としての仕事の腕のほうはといえば超一流。

その確かな技術を求めてはるばる遠くから手術しにくる人たちもいるほどだ。

財前は周囲からは自信過剰であるという人間性の評価があった。この作品のポイントは彼の人柄は最悪だったとしても、圧倒的に仕事能力が高い、というところにある。

ここでもし仮に、財前が仕事の能力が全く備わっていない人間だとしたら、この物語はそもそも成立しなくなる。

当たり前のことだが、人間性が低い、また仕事もできない、という人間に活躍できる場所など用意されていない。

医療において、患者が求めるのは医者の笑顔や気さくさよりも病を完治させるという確かな実力である。

つまりコミュニケーションの円滑さで得られる一瞬の気分の良さよりも、死ぬまで続く命のほうが大事である、ということだ。

では、なぜ財前はここまでの技術、技能を身に付けていったのかを考えてみたい。

それは、彼の地位や名誉、権力に対する強い野心、欲求、欲望や上昇思考がもたらした産物だといえるのではないか。

思えば、私たちの周りを見ても理屈で小綺麗にまとまるタイプよりも、本能的に行動するエネルギッシュな人のほうが仕事では遥かに結果を出している気がする。

なぜなら、人は理屈ではなく感情の生き物だから。

例えば、大学教授が教壇の前で資本主義経済がどれだけすごいか理論的に説明されてもピンとこなかったりする。

それよりも、何も語らなかったとしてもゼロから億万長者になった人が大豪邸に住みBMWを乗り回している姿のほうが遥かに私たちの心を揺さぶるあの感覚と同じだ。

ただのいい人よりも、人柄が最悪でも高いレベルで仕事をする人のほうが相手からも尊重される

まず私たちが一定の成功をおさめるまでは、自分の仕事を全うすることに集中すべきだと思う。

たとえ人当たりが良くても価値を提供できなければ、それただの良い人以外の何者でもないからだ。

プライベートならそれで良いかもしれないが、仕事ではいい感じの人が顧客の為になるとは限らない。

私自身、特に20代の頃、甘い言葉やキレイゴトをたくさん語る人を見てきた。

そういった人たちは確かに人当たりは良いかもしれないが私たちの心を揺さぶったり行動に駆り立てることはなかった。

私はかつて、物心両面で豊かになりたいと思い、とある経営者の指導を受けたことがある。

その時にこんなことを言われた。『ビジネスで成果をあげるためにはコミュニケーションスキルは必須。だから、まず自分を高める努力をして誰とでも仲良くできる人になりましょう』と。

私はその言葉を疑うことなく、心では嫌いと感じている人や感情的に合わないと思った人にもたくさん会ってきた。そう、自分の人間力を上げるために。

そんな日々の中、ある女性からこんなことを言われた。『あなたはいつも差し障りのない当たり前のことしか言わないよね』と。

こんな侮辱的な事を言われた日には、何のために今まで対人関係の努力をしてきたんだろうと思った。

それから私は誰とでも仲良くすることなど身を持って無駄であることを悟った。嫌われることを恐れ、嫌われることは少なくなったが、その他多数のどうでもよい人の1人になっていたことがわかった。

そして、いい人になるだけでは仕事の成果に繋がらず、現実は何も変わらないことに気づいた。

仕事で結果を出すことと、いい人であることは関係ない。仕事によって求められる強みが違うからだ。

例えば今の時代、ガンジーやマザー・テレサのような神のごとき人格者が何人尊重されるだろうかと考えてみる。

どんなに人間性が高く愛される人になったとしても、相手の役に立てる人でなければ経済的に祝福されることなどない

『いい人になることが目的になっていないか?』

改めて、自分に問いかけたいのだ。

確かにコミュニケーション能力を鍛えるのは大切なことだし、人間性が高いにこしたことはない。

しかし、それらは結果として後からついてくるものだと思う。まずは、持てる仕事に全力を尽くし結果を出すことが最優先だ。

例えばの話、表舞台に上がらなくたって経営はできる。医者の現場であれば、患者とのコミュニケーションについては看護師という協調性の高いサポーターがいる。

まとめ

結局のところ、今の自分が取り組んでいる仕事で最も価値を提供できることは何なのか、考え抜くことが大事だと思う。

人間性や人格を高めたいと思うのなら、仕事で目の前の人に尽くし感謝されること。

感謝されるということは、人として大いに評価され称賛されるということでもある。

人間性が高い人というのは、本人がそうなろうと思ってなるものでなく、結果として人からそういう存在として認められる人のことだと思う。

ここに本質がある。



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