「ザ・ローリング・ストーンズ 1963―1969[DVD]」を観た。
今回は60年代のストーンズを題材に「オリジナリティとはどういうものか」について考察していこうと思う。
【結論】
オリジナリティとは超一流のものを模倣した先に確立できるもの
世界一のロックバンド・ローリングストーンズでさえデビュー時はオリジナル曲がなかった
世界一のロックバンドと称されることもあるローリングストーンズ。元々、ブルースのコピーバンドの状態からデビューしたのはご存知だろうか。
世界最高峰のロックバンドがプロ入りしたときにオリジナル曲を持っていなかった、というのは現在の音楽シーンから見ればにわかに信じがたいことである。しかし、これは紛れもない事実だ。
ストーンズがデビューした1963年から確固たるオリジナリティを確立する1968年までの期間に感じられるのは圧倒的な音楽性の変化である。
ビートルズしかり、ビーチボーイズしかり60年代に彗星の如く現れたバンドが魅力的なのは、時代の流れにあわせたサウンドの変化を顕著に楽しめるところではないだろうか。
彼らのアルバムを時系列で追いながら1枚毎に聴いていくととても同じバンドとは思えないほどの変化を感じられるのだ。
私は当時からのリアルタイム世代ではないが、これらのバンドの変化から60年代がどれだけ激動の時代であったかが想定できる。
ストーンズのデビューアルバムはほぼコピーの楽曲が占める。中核メンバーであるミックとキースがオリジナル楽曲を発表をしていく頃から徐々に独自のスタイルを確立していく。
元をたどれば、あの天下のストーンズでさえブルースのコピーバンドからスタートしているのだ。
オリジナリティがある人とは模倣を限りなく反復した人である
ローリングストーンズがオリジナリティを確立していった過程は、私たちの日々の仕事にも置き換えて考えてみることができる。
つまり、自分のオリジナリティの見つけ方とは、逆説的にはなるがまずは徹底的に模倣するところから始めるということだ。
また、たとえ完璧に模倣したとしても、全く同じものになることはない。なぜなら人はもって生まれてきた資質が違う、その差がオリジナリティとなるからだ。
ではなぜ模倣から始めるのが良いのか?
模倣とはただ真似るだけではない。クオリティや完成度の感覚を掴むことでもある。
私たちが何か物事を始めたばかりの頃というのは目指す方向性などが定まっていないところも考えられる。しかし、それ以上にクオリティの基準を持っていない。だからこそ最初から、超一流のものに触れ落とし込んでいく過程が重要なのだ。
我流でやることと、オリジナリティを追求することは決定的に意味が違う
我流は一見独創性があるように見えるがピントがあっていないことが多い。ゆえに結果として我流で成果が出ることはほとんどない。
模倣できる対象というのは、その人が試行錯誤して辿り着いたベストな集大成を学べることでもある。
我流でやることは、それらを脇に置いて、これまでの自分の過去の経験だけで勝負することだ。先人たちの叡知の結晶から学ぶことと自分なりの結論をあてにすること、どちらが結果に繋がるかは目に見えている。
ストーンズは1968年発表の「ベガーズバンケット」という最高傑作のアルバムでブルースを自分たちの音楽として昇華した。
名曲「悪魔を憐れむ歌」では妖うく中毒性のあるグルーヴが圧倒的なオリジナリティを放っている。
デビュー前からブルースを忠実になぞってきたからこそ、ストーンズは独自の境地にたどり着けたのではないかと思う。
世の中には、最初の段階から自分のオリジナリティに拘る人も多くいる。
しかしだ。私たちは、そもそも生まれた瞬間からオリジナルな生き方なんてできない生き物なのだ。
赤ちゃんから成長していく段階で、私たちは言葉を覚えていく。これらの言葉は単なる文字ではない、言葉を理解する中で価値観、考え方迄強く影響を受けるようになる。
三つ子の魂百まで、という言葉が示す通り、両親や学校の先生が子供たちの幼児期に与える影響はとてつもなく大きい。
つまるところ、親たち、先生たちの言葉をコピーして成長していくということでもある。
だから究極的には、この世には完全なオリジナルなものなど存在せず、互いに何かしらの影響を受けているということだ。
結局のところ、元から自分だけでオリジナリティを出そうという考えそのものが過っている。
まとめ
オリジナリティとは、模倣をしていく中で確立させ、自分にしか提供できない価値を提供していくものだと思う。
潜在的に誰もが持ちうるものだけど、全ての人が見つけられるかどうかは分からない。
それは、物事をとことん真剣に取り組み、頂点まで極めようとした人だけが到達できる境地かもしれない。
60年代のストーンズがブルースのコピーバンドから、世界のロックバンドへと飛躍していったように。
思えば、理想を描くからこそ私たちは行動に変えることができる。
ああなりたい、でもギャップがある、だから一ミリでも理想や夢に近づけることを日々繰り返していく。
最初は模倣だったとしてもいい、やがて想像を絶するようなオリジナリティに満ちた未来が待っているのだから。