尾崎豊はなぜ伝説であり続けるのか?元パンクロッカーが考察してみる

日本のロック史に燦然と輝く伝説のソロアーティスト、それが「尾崎豊」です。

あのミスチルも多大な影響を受けたとされ「僕が僕であるためにという楽曲で尾崎豊をカバーしています。

しかし残念ながらもう既に彼はこの世にはいません。もし生きていたら令和という時代にどんな歌を聴かせてくれたのだろう、と思いを馳せたりします。

今回のテーマは「尾崎豊は今なおなぜ伝説の存在であり続けるのか?」、元パンクロッカーである筆者が日本の時代背景と音楽シーンを絡め考察していきます。

なぜ尾崎豊は伝説であり続けるのか?元パンクロッカーが考察

尾崎豊を知ったきっかけと思い出

私自身、10代の頃はバンドを組みパンクロッカーとしてライブ活動をしていました。尾崎豊はリアル世代として聴いていたわけでなく、1992年4月に突然の訃報があった当時、私は小学校3年生でした。

それから父親がレンタルショップで尾崎豊のCDを借りてきてくれて家で頻繁に流していたのを思い出します。

現在、30代以上の方であればドラマやCMなどから間接的に尾崎豊を知った方も多いのではないでしょうか。

有名なところだと、名作ドラマ「北の国から」の挿入歌として使われています。主人公でもある中学時代の潤(キャスト:吉岡秀隆)が恋をするシーンで尾崎豊の「I LOVE YOU」がバックで流れていました。

学生時代の初恋を思い起こさせるシーンに尾崎豊の温かみと優しさのある歌声がとてもマッチしていてグッときます。

実際に尾崎豊と吉岡秀隆はプライベートでも師弟関係にあった仲だと言われていて、このあたりも非常に興味深いです。

CMのほうだと、日清の「カップヌードル」のBGMに使われていましたね。同じく「I LOVE YOU」が。平成に入って日本の景気が低迷を続ける中、疲れはてた会社員を映し出す世相や自虐的なCM(某ゲーム会社の湯川専務のCMとか)が増えていった気がします。

そんな時代に、そっとみんなの肩を押してくれるような「尾崎豊」の声が根強く支持され続けていたのかもしれません。

尾崎豊が伝説の存在であり続ける理由(前編)あまりに早すぎる成功と若すぎる死

尾崎豊が一旦音楽活動を休止したのは20歳の時でした。そして彼はもうこの時既に国立代々木競技場という日本でも有数のライブ会場を満員にするほどのアーティストになっていました。

10代の内にアルバムを3枚出し、全29曲控えめにいって捨て曲が1曲も無いというクオリティ。

19歳、20歳といえば、大学1、2年くらいの頃ですよ。その頃を思い出すと毎日授業をサボって遊ぶことしか考えていなかった私にとっては「どんだけ早熟なんですか!」と突っ込みを入れたくなるほどの軌跡です(笑)

そういえば尾崎豊と青山学院高等部時代の先輩にあたる高橋克典はかつては身近な存在だった尾崎豊のあまりに早すぎる成功に嫉妬した」と言っていましたね。

それからの日本の音楽シーンでは、宇多田ヒカルやMISIAを始めとした10代の女性ディーバの活躍が目立ちました。しかし10代の日本の男性アーティスト、しかもソロで完全実力のみでのしあがり、これだけの実績とインパクトを出した人は尾崎豊以外にいないんじゃないでしょうか。

個人的な見方をすると、日本のミュージシャンて海外の人たちに比べると圧倒的に真面目でちゃんと仕事をする印象を受けます。

あえてアーティスト名はふせますが、誰もが知る海外のロックバンドのボーカルなんて二日酔いの状態で平然とステージに上がったりしますからね。

そして、ここからがスゴい。インタビュアーに1日目と2日目でパフォーマンスの差がありすぎじゃないですか的なツッコミをされて『2日連続公演なのを知らなかった(それで前日に飲み過ぎたと言い訳)』と受け答え。この感覚で世界でトップレベルのバンドに君臨してるわけですから、まさにこれぞロック界の伝説ですよ(笑)

そういった意味でいうと、尾崎豊の以下のパフォーマンスはいい意味で海外のパンクロッカーに通じるものがあります。

・明らかに飛び降りたら事故るであろう、高所からダイブして骨折しながらも歌い続ける

・『俺は命をかけてでもお前らを守る!』という過激なマイクパフォーマンス

そして早すぎる26歳という死です。海外のロック界では「27クラブ」といって、27歳で夭逝する天才ミュージシャン(カートコバーン、ジミ・ヘンドリックスなど)が多いことから魔の年齢とも囁かれています。

日本でもこの「27クラブ」と尾崎豊の死を関連付けしてコンテンツにしたがるメディアもちらほらある気がします。それが更なる伝説の独り歩きを助長させていると推測します。

尾崎豊が伝説の存在であり続ける理由(後編)極度にメディアへの露出が少なく謎が多い

尾崎豊がテレビ出演したのは「夜のヒットスタジオ」で「太陽の破片」という曲を歌った時のみです。

YouTubeがこれだけ市民権を得ている現代、尾崎豊の動画を探して出てくるのはほぼライブでの動画かドキュメンタリー系の番組映像です。

カリスマ的に歌い叫ぶ尾崎豊を知れる機会はたくさんありますが、素の尾崎豊に触れる情報は圧倒的に少ないです。

いちファンの私として彼のパーソナリティーを最も知れる手がかりと感じたのが親族や関係者などの証言からまとめられた書籍でした

これらの書籍を読んでみると、一般的なメディアで取り扱われる尾崎豊のイメージとはかけ離れた人物像が浮かび上がってきます。

つまり、何が伝えたいのかというとメディアへの露出が極度に少ないアーティストというのは、ファンでもない一般の人にとっては確実に想像の世界で生きる人なわけです。

以下、一般的な尾崎豊のイメージ

「盗んだバイクで走り出す~♪」15の夜の歌詞より
→社会に反抗する若者の代弁者

「シェリー俺は歌う、愛すべきものすべてに~♪」
シェリーの歌詞より
→10代から熱烈な支持を集める教祖的存在

上記が一般的に認知されている尾崎豊の姿だと思います。尾崎豊が意図していたかはどうかは分かりませんが、有名で実績があるにも関わらずプライベートの露出が少ないアーティストほどメディアは神格化して扱いたがります。

なぜなら、その方がビジネスになりやすいからです。当たり前の話ですが、いつでもテレビで見れる芸人よりも滅多にテレビに出ないアーティストが何年かぶりに出演したりするほうが希少性が高まり興味を掻き立てられますよね。あれと同じ原理です。例えば、竹内まりやさんのメディア出演などが好例だと思います。

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ということで今回は「尾崎豊は今なおなぜ伝説の存在であり続けるのか?」というテーマでお届けしました!

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